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第 1 回目 (2000年12月 更新)

現代において「能」とか「能楽」と呼ばれている。 この能は謡曲という台本によって上演される 世界に類例をみない舞台芸術である。 今からおよそ六百数十年前に、観阿弥(1333〜1384) 世阿弥(1363〜1443)の父子によって大成され、五流のシテ方(主役)によって上演されている。これに三役方(ワキ・狂言・囃子)が参画して一曲を成すわけである。勿論、ワキ方 狂言方 囃子方 それぞれに流派があり 又、シテ方と同様それぞれが自身のパートを専門に担当する。 諸流において若干の異同はあるが、廃曲・新作曲等を除く現行曲は、各流を通じ(シテ方五流)二百五十番(曲)前後と考えて良いだろう。そして 神・男・女・狂・鬼によって五種に類別されており、江戸幕府の式楽としての名残をとどめている。もっとも式辞的性格の強い別格の「翁」を除き、

       初番目物 (脇能・神事物)
二番目物 (修羅物)
三番目物 (鬘物)
四番目物 (現在物・狂女物)
五番目物 (切能・鬼神物)

と呼ばれるのがそうである その構成は、原則として単式(一場)と複式(前・後の二場)とに大別され、能面(ノウメン)と呼ばれる仮面を用いるが、能面を用いない曲もある。そしてその演技は非常に象徴的で、概ね写実を本旨とする他の演劇・芸能とは違った点がある。舞台装置も簡素そのもので、わずかに最小限の作り物(家や船)と小道具(刀や杖など)によって演技(型「カタ」という) の要点が示される。家や船といっても大きい物ではなく、竹を組み合わせて布を巻いただけの簡単なものにとどまる。 実はこの簡単なものということに能の演劇としての奥深さがあるのだが・・・・


第 2 回目 (2001年3月 更新)

能一曲の中には、言葉の部分と囃子のみ(楽器の演奏のみ)の部分があり、囃子のみの部分は、舞(マイ)として表現される。

舞にもいく通りかの種類があり、それぞれの曲に それぞれの舞が組み込まれている。5番 それぞれに それぞれの特色をだす為の舞があるのである。
主に笛の音にあわせてシテが動く。勿論 小鼓 大鼓 太鼓の囃子の演奏も加わっているのはいうまでもない。
前述した通り 能の演者の構成は、パートごとの 専門職であり分類は次の通り、


       ■ シテ方 (主役)     ■ 狂言方 (狂言役)=人物担当
■ ワキ方 (脇役) ■ 囃子方 (笛 小鼓 大鼓 太鼓)=楽器担当

しかし乍 シテ方以外の役を欠く曲 あるいは、太鼓を欠く曲も若干あるということは 付け加えておく。

又 能の台本の謡曲は、それ自体立派な「 劇文学作品」であり、それまでにあった古典(物語・説話・歌 など)を素材・典拠としたものと 独自の修辞によって曲を成している場合が多い。
また、作者自身の創意でつくられた曲も少なくはない。

しかしながら、作者が誰なのかわからない曲もいくつかあり、伝不詳とされ、現行曲として、現在も上演されている。

能をあえて現在の言葉で表現するとすれば、オペラ ミューディカルといった歌劇 舞劇の要素も含み、又 日本独特の わびさび といった精神を備え 静と動を表現する総合芸術なのであり、日本を代表する伝統芸術としての地位は高いのである。
それは 日本古典の文化 精神といった要素も過分に含まれ 又 装束(衣装)にも古典が表現されている事からでも理解出来るはずである。


第 3 回目 (2001年6月 更新)

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